SoDRé にはこだわりがあります。
SoDRé の 「S」 はあえて 「School」 にしませんでした。
「School」 には教師と生徒という教える側と教わる側の構造があります。
「School」の語源と言われている「Scholé」スコレー(暇) は古代ギリシャの上流階級の人たちが答えの証明できない問いをひたすら話し合う場であったとされています。
この場所は誰かが何かを教えるのではなく、自分と言うものを探求するために集まった人たちが、協力しながら自らの力で自分のことを解き明かしていく、そんな場所であって欲しいと願っています。
ここからは、代表たじあき個人の想いを記します。
私は、教員をしていた時、自分1人が何かを生徒40人に対して教えている場面に違和感を覚えていました。
40人の知識が私1人の言葉で増幅していくのはとても効率的で、学校の経営を考えるととても理に叶っているものだと私も思います。
ただ、なぜ生徒たちは学校に来るのかを考えたとき、同年代の人間たちと触れ合い、考えを共有し、自分と他人の違いについて気づくことが大切なのではないかと感じていました。
だからこそ私は、自分の授業でどれだけ自分が話さずに、生徒たちが生徒たち同士で話し合いながら、学びを深めていくかを重要視し、授業を展開していました。
ディスカッションや実験、発表し合う機会も多く設けました。
周囲の先生や生徒からは授業中なのにサボっているような教師と思われていたかもしれませんね(笑)
でも、生徒たちが活発に話し合いながら何かをしているのをただ眺めているのがとてつもなく好きでした。
「楽だから」という意味では無いですよ!
生徒や周囲の方がどう考えているかは分かりませんが、私個人としてはこのような授業を行う方が一方通行の授業よりもはるかに難しいと考えています。
生徒たちの話し合いがどのようなものになるかを想像し、どこまで問いに関する情報開示するか、どのような制限を受けるか、それを想定した上で対話させなければ、途中で話し合いがスムーズに起こらずに生徒たちは学びを止めてしまいます。
また、生徒たちの思考が授業を左右するものなので、予想外なことがたくさん起こります。
そんな予想外の気づきを効果的に扱いながら対話の流れをコントロールしなければなりません。
それはこの場所にも共通することであり、私たち運営メンバーには上記の力が求められます。
最善の一手を打てない時もあるかもしれませんが、できる限り皆さんが「自分のこと」を探求し合う場が活発なものになるように努力いたします。
また、私以外の「触媒」も、方法は私と異なれど触媒としての役割を全うできるように教育していく所存です。
ここは、教わる場ではなく、自ら探る場にいたします。
それが、SoDRé のこだわりです。
