まず、「内省」 について辞書で調べると以下のような説明が出てきます。

私たちは、「内省」を「心の形を知ること」と捉えています。


人の「心」は経験によって変化していくものだと思います。

「~~な経験をして、△△な気持ちになったから、私は ○○になりたい or ○○をしたい」

このようなことが受験や採用試験で言えると評価されると思います。

ただ、その経験をしなければ、心は白紙だったのだろうか。

そうだとすれば、生まれたての心は皆同じものになってしまいます。

皆、生まれつき心の形が違うとすれば、経験によらない自分の欲求を見つけられるはず。

心のかたちを描きながら、経験から生まれたものではない、その方の心の求めるもの、望むことにアクセスしたいと思っています。


経験が作り出す欲求を自覚する。

入学試験や就職活動において、志望動機や自己PRをされると思います。

自分自身の経験から産まれた感情を言葉にして、なぜ入学 or 入社したいのかという欲求の理由を相手に伝えたことがあると思います。

「○○を見た、聞いた、知った。その経験をしたときに憧れたから応募した」

この言葉で一番重要なのは、「なぜあなたは憧れたのか」という部分です。

あなたじゃなければ、どうだったでしょうか?

仮にこの答えが、「人による」だとすれば、あなたには○○に憧れた、あなたが特別に持っている部分があるのではないでしょうか。

それを発見することは、立派な内省です。

一方、以下のようなネガティブな面もあるのではないでしょうか。

「△△なことをされて傷ついた。だから私は人に同じようなことを絶対しない。」

重要なのは、どうして傷ついたのか。

自分はなにが嫌だったのかを理解することだと私たちは考えています。

嫌な経験を振り返るのは辛いこと。

でも、向き合って原因を追究することで、自分のこころが望まないものを知ることができます。

△△をされたことは、氷山の一角かもしれないません。

逆に、△△されたことの中で、自分が全く気にしていない部分も見えてくるかもしれない。

大事なのは本質(自分の心は何を嫌うのか)を知ること。

それを知ることですっきりと思いますよ。これも立派な内省です。


北欧諸国の考える「内省」

私たちは、北欧の「内省」の考え方や取り組みに感銘を受けて、ソドレーを設立しました。

北欧では、「対話」を何よりも重んじる風潮があります。

歴史を振り返るとあらゆる侵略者から、自らの考えを守り抜き、後世に引き継いできました。

その考えをこそが「民主主義」になります。

「民主主義」では人と人は対話によって分かり合えるということが大前提です。

対話では、自分のしたいこと、望むことを相手に正確に伝える必要があります。

(相手の話を理解し、互いの妥協点や仲介案を模索することも対話には含まれます。)

自分のしたいこと、望むことがうまく言葉にできなければ、対話はできません。

対話のために、自分自身のことを良く知ることが大切である。

それに気づいている北欧諸国では、学校教育において内省教育をすることが当たり前になっています。

他にもドイツやイギリス・アメリカの上流学校で取り入れられています。

これらの国では、芸術の授業で「内省」や「対話」が育まれています。

詳しく知りたい方は代表たじあきのノートのこちらの記事をお読みください。